ブルマとは何か?起源・井口阿くりの導入から廃止まで、歴史と現在を徹底解説
ブルマとは、女性が運動するときに着用するために考案された衣服で、日本では主に女子の学校体育着として普及した短いパンツ型の運動着です。かつては小学校から高校まで幅広く採用されていましたが、1990年代からハーフパンツへの切り替えが進み、2000年頃までには学校体育の現場からほぼ姿を消しました。
その起源は19世紀アメリカの女性服改革運動にあります。日本では1903年にアメリカ留学から帰国した教育者・井口阿くりが導入に関わり、1960年代には現在よく知られる密着型ブルマーが急速に普及しました。しかし、当初は女性の身体的自由を広げる目的を持っていた衣服が、なぜ学校では着用を嫌がられる存在になったのでしょうか。2026年現在の学校体操着との違いも含め、歴史資料や大学の研究論文、関係者への取材記事をもとに、その変遷をたどります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 意味と起源:ブルマは女性の運動や服装の自由を求める動きから生まれ、名称はアメリア・ジェンクス・ブルーマーに由来する。
- 日本での普及:1903年に井口阿くりがアメリカから紹介し、1960年代後半には密着型が学校体育着として広く普及した。
- 廃止の背景:着用への抵抗感、性的な視線、ブルセラ問題、社会意識の変化、ハーフパンツの普及などが重なった。
- 2026年の現状:学校体育ではハーフパンツやクォーターパンツなどが主流で、ブルマは歴史的な衣服として扱われている。
【基礎知識】ブルマとは?意味・特徴と名前の由来を解説
ブルマの意味と基本的な特徴
ブルマは、英語の「Bloomers(ブルーマーズ)」に由来する言葉です。日本では一般的に「ブルマ」「ブルマー」の表記が使われ、特に学校体育で女子が着用していた短いパンツ型の体操着を指します。
一般的に知られる学校用ブルマは、腰から脚の付け根付近までを覆う形状で、伸縮性のある生地を使い、身体に密着するデザインが特徴でした。走る、跳ぶ、しゃがむといった動作を妨げにくく、運動中に衣服が大きく動かないという機能面の利点がありました。
ただし、現在の日本人が思い浮かべる密着型ブルマと、19世紀に欧米で生まれたブルーマーズは、同じ形状ではありません。初期のものは膝丈のスカートとゆったりしたズボンを組み合わせた服装でした。時代と用途に応じて形が変わり、スポーツ用衣服として発展したのです。
ブルマの名前の由来はアメリア・ジェンクス・ブルーマー
ブルマという名称は、19世紀アメリカの女性権利運動家、アメリア・ジェンクス・ブルーマー(Amelia Jenks Bloomer、1818~1894年)に由来します。
ここで押さえておきたいのが、ブルーマー本人が最初に衣服を考案したわけではないという点です。
1851年頃、女性の服装改革に取り組んでいたエリザベス・スミス・ミラー(Elizabeth Smith Miller)が、膝丈のスカートの下にゆったりしたズボンを合わせる服装を取り入れました。ミラーのいとこであるエリザベス・キャディ・スタントンと、その友人だったブルーマーも、この服装を採用しました。
ブルーマーは女性向け新聞「The Lily」の編集者として活動しており、記事や挿絵を通じて新しい服装を積極的に紹介しました。さらに自身もその服装を着用して講演などを行ったため、世間では「ブルーマー夫人の服装」として知られるようになったのです。
アメリカ国立公園局のWomen's Rights National Historical Parkや米国議会図書館の服装改革に関する展示資料でも、衣服の先駆的な考案者としてミラー、普及と名称の定着に貢献した人物としてブルーマーが紹介されています。
つまり、名前の由来となった人物と、服装の原型を考案した人物は別人です。この違いは、ブルマの歴史を理解するうえで欠かせません。
エリザベス・スミス・ミラーが目指した服装改革
当時の欧米では、女性の衣服は長いスカートや重いペチコート、腰を強く締め付ける服装が一般的でした。見た目の美しさが重視される一方、歩行や作業、運動には不便な面がありました。
ミラーが取り入れたズボン型の衣服は、こうした制約を軽減するためのものでした。裾を絞ったズボンをスカートの下に組み合わせることで、脚の動きを確保しながら、当時の社会が女性に求めていた服装上の体裁にも配慮していました。
一方、女性がズボンを着用すること自体が社会的な議論を呼び、ブルーマーズは新聞などで批判や風刺の対象にもなりました。結果として、1850年代に一般女性の標準的な服装になることはありませんでした。
その後、自転車やテニス、乗馬など女性が参加するスポーツが広がるにつれ、動きやすいパンツ型の衣服が実用的なスポーツウェアとして受け入れられていきます。ブルマの原点には、単なるファッションではなく、女性が身体を自由に動かす権利を求めた歴史があったのです。
【日本への導入】井口阿くりがブルマを持ち帰った明治時代の女子体育
女子体育の普及と体操着の必要性
日本でブルマが紹介される以前、女子の体育には服装上の大きな制約がありました。
明治初期の学校教育では、女子生徒が和服で体操を行うこともありました。長い裾や袖は激しい運動に適しておらず、運動の内容によっては着替えやたすき掛けなどの工夫が必要でした。
お茶の水女子大学の研究者・難波知子氏らによる2023年の論文「お茶の水女子大学所蔵資料 セーラー・ブルーマー型体操服の来歴と構成」では、女子体操服の変遷が大学所蔵の実物資料と写真をもとに検証されています。
同論文によれば、東京女子師範学校では1875年の開校式に袴が着用されていましたが、1883年には文部省による女教員・女生徒の袴や靴の着用禁止が示されました。その後は着流しなどで体操を行っていたと考えられています。
こうした時代に、運動に適した洋服式の体操着を取り入れようとした教育者の一人が井口阿くりでした。
井口阿くりとは?アメリカ留学で女子体操を学んだ教育者
井口阿くり(1880~1931年)は、日本の女子体育教育の発展に大きく貢献した教育者です。後に「日本女子体育の母」とも呼ばれるようになりました。
井口は1899年にアメリカへ留学し、スミス・カレッジやボストン体操師範学校で体操教育を学びました。特にスウェーデン体操など、当時の欧米で行われていた新しい体育理論に触れています。
1903年に帰国した井口は、女子高等師範学校に新設された国語体操専修科の教授に就任しました。その際、アメリカで目にした女子用体操着を日本の教育現場に取り入れようとしました。
お茶の水女子大学の研究論文によると、井口は帰国後、本郷にあった大河内婦人子供洋服店に体操服の製作を依頼しています。店に勤めていた西島芳太郎の証言から、その時期は1903~1904年頃とされています。
1904年の文部省委員会で女子体操服を提案
井口の活動で特に重要なのが、1904年に文部省体操遊戯取調委員会の委員に選ばれたことです。
井口は同委員会で女子の体操服の提案にも携わりました。提案された服装は、セーラー型の上衣にブルマーを合わせる構成です。運動時にはブルマーを着用し、通常の学校生活ではその上にスカートを重ねるという考え方でした。
1906年刊行の『体育之理論及実際』には、井口らが提案した女子体操服の図が掲載されています。洋服式の体操着を全国の女子師範学校や高等女学校に広めるための模範として示されたものでした。
ただし、ここには重要な注意点があります。井口が紹介した1903年を、全国の女子生徒が一斉にブルマを着用し始めた年と理解するのは正確ではありません。
お茶の水女子大学の研究では、実際の着用は数校の女子師範学校などに限られ、全国的な普及には至らなかったとされています。導入の先駆けと、学校体育着としての大規模な普及には、数十年の時間差があったのです。
【歴史年表】ブルマの起源から普及・廃止までの重要な出来事
ブルマの歴史は、19世紀の女性服改革から明治時代の日本への導入、戦後のスポーツウェアの変化、そして平成期の廃止という流れで整理できます。
以下は、人物と出来事の関係を含めた主要な年表です。
| 年代 | 人物・出来事 | 歴史的な意味・関係性 |
|---|---|---|
| 1851年頃 | エリザベス・スミス・ミラー | スカートとズボンを組み合わせた服装を考案・着用。 |
| 1850年代 | アメリア・ジェンクス・ブルーマー | 新聞「The Lily」などで服装改革を紹介。ブルーマーズという名称の定着に貢献。 |
| 1899年 | 井口阿くり | アメリカ留学を開始し、女子体育の新しい理論を学ぶ。 |
| 1903年 | 井口阿くり | アメリカから帰国。日本の女子体育教育にブルマ型体操服を紹介する。 |
| 1904年 | 文部省体操遊戯取調委員会 | 井口が委員となり、セーラー型上衣とブルマーを組み合わせた女子体操服を提案。 |
| 1906年 | 『体育之理論及実際』 | 女子体操服の提案図が掲載される。 |
| 大正時代 | 女子師範学校など | セーラー・ブルマー型体操服が一部の学校で継続使用される。 |
| 1964年 | 東京オリンピック | 女子バレーボールの活躍などを通じ、密着型のスポーツウェアが注目される。 |
| 1960年代後半 | 学校・体操着メーカー | 伸縮性のある密着型ブルマーが急速に普及する。 |
| 1980年代 | 女子生徒・学校現場 | 着用への抵抗感や反対の声が目立つようになる。 |
| 1993年 | ブルセラ問題・Jリーグ発足 | 性的な商品化への批判が強まり、ハーフパンツも代替の選択肢として広がる。 |
| 1990年代後半~2000年頃 | 学校・教育委員会 | ハーフパンツへの切り替えが進み、ブルマは学校体育からほぼ姿を消す。 |
この年表から分かるのは、ブルマが単純に一人の人物によって考案され、そのまま日本全国へ広がった衣服ではないということです。女性の服装改革、女子体育の制度化、スポーツ用品の産業化、学校の指定制度、ジェンダー意識の変化が複雑に関係しています。
特に、1903年の井口による導入と1960年代の密着型ブルマーの普及は、分けて理解する必要があります。
【1960年代の転換】ちょうちんブルマーから密着型ブルマーへ変わった理由
ちょうちんブルマーとは?初期のゆったりした運動着
日本で戦前から使用されていたブルマは、現在イメージされる密着型とは異なるものでした。一般に「ちょうちんブルマー」と呼ばれるタイプです。
ちょうちんブルマーは、布地に織物を使用し、脚の部分にゆとりを持たせた膨らみのあるシルエットが特徴です。膝上から膝下まで丈のあるものなど、時代や学校によって形状に違いがありました。
腰部分はひもで調節するタイプもあり、濃紺や黒などの落ち着いた色が多く使われました。日本の袴文化とのつながりを感じさせる形状でもあります。
お茶の水女子大学が所蔵する大正期の実物資料からも、当時の体操服が単純な短いパンツではなく、上衣やスカートとの組み合わせを考えた衣服だったことが分かります。
密着型ブルマーが普及したきっかけは東京オリンピック
大きな転換点となったのが、1964年の東京オリンピックです。
この大会では女子バレーボールが正式種目として行われ、日本代表は金メダルを獲得しました。いわゆる「東洋の魔女」と呼ばれた選手たちの活躍は、国内で大きな注目を集めました。
トンボのユニフォームミュージアムによる解説では、当時の日本選手だけでなく、対戦したソ連やポーランドの選手が着用していた、伸縮性のある密着型ブルマーの姿も印象を残したとされています。
その後、体操着メーカーと合成繊維メーカーが協力し、伸縮性の高いニット素材を使用した製品を販売するようになります。生地の進歩に加え、生理用品の技術革新も着用を可能にした要素として挙げられています。
こうして1960年代後半から、従来のちょうちん型に代わって密着型ブルマーが急速に広がっていきました。
なぜ学校で急速に普及したのか?機能性と販売体制の両面
密着型ブルマーが広がった理由は、東京オリンピックの影響だけではありません。
まず、運動着としての機能性がありました。伸縮性のある生地は身体の動きに追従しやすく、走ったり跳んだりする際に衣服が大きくずれにくいという特徴があります。従来の織物製のブルマーと比べて軽快で、洗濯や日常的な管理もしやすい製品へと変化しました。
また、学校側にとっては、男女別の体操着を含めた服装の統一や、運動時の安全性・管理のしやすさという側面もありました。
さらに、広島経済大学の内海和雄氏による2018年の研究論文「女性スポーツの誕生」では、密着型ブルマーの普及について、中学校体育連盟の資金難と繊維メーカーによる資金援助の関係が指摘されています。
同論文の分析では、スポーツ用品の推薦制度やメーカーの販売活動が、従来のちょうちん型から密着型への切り替えを後押ししたとされています。学校という大きな市場に対して、体育関連団体と衣料産業の利害が結び付いたことも、普及の背景として考えられます。
つまり、ブルマの全国的な普及は、単に女子生徒が新しいデザインを好んだから起きた現象ではありません。スポーツの大衆化、素材技術の進歩、学校の指定制度、メーカーの販売戦略などが重なった結果でした。
【廃止の理由】ブルマはなぜ学校から消えた?ブルセラ問題と社会的背景
1980年代から強まった女子生徒の着用への抵抗感
ブルマが学校で一般化する一方、着用する側の女子生徒からは不満も出ていました。
密着型ブルマーは脚の露出が多く、身体のラインが目立ちやすい形状でした。思春期の生徒にとっては、体型を周囲に見られることへの抵抗感が生まれやすく、運動中に裾がずれることや、下着が見えることを気にする人もいました。
特に問題だったのは、体操着を着る本人の希望よりも、学校の指定や集団での統一が優先されるケースがあったことです。
集英社オンラインが2024年11月に掲載したブルマ論争に関する記事では、ジャーナリストの渋井哲也氏が、1980年代にも女子生徒が体型の見え方や下着のはみ出しを理由に着用を恥ずかしがっていたと振り返っています。
こうした抵抗感は、一部の流行や一時的な好みの問題ではなく、身体的なプライバシーや学校生活における自己決定の問題でもありました。
ブルセラ問題がブルマのイメージを変えた
ブルマ廃止を考えるうえで避けられないのが、1990年代に社会問題となった「ブルセラ」です。
ブルセラとは、「ブルマー」と「セーラー服」を組み合わせた言葉です。1990年代には、女子中高生の使用済み制服や体操着などを買い取り、成人男性向けに販売する店舗が問題になりました。
集英社の時事用語事典「イミダス」では、1993年頃をブルセラが一般の女子高校生にも広がった時期として取り上げています。また、当時の報道ではブルセラショップや関連する事件が社会的な議論を呼びました。
この問題によって、もともとはスポーツのための衣服だったブルマが、性的な商品価値を持つ衣服として扱われる場面が増えました。
その結果、学校で着用を義務付けることへの疑問も強まっていきます。生徒が望んでいない服装を指定し続けることは適切なのか、学校側にも見直しを求める意識が広がりました。
重要なのは、ブルセラ問題の責任を着用していた女子生徒に負わせるべきではないということです。問題の本質は、本人の意思とは無関係に衣服や身体が性的な商品として扱われた社会構造にあります。
男女雇用機会均等法とセクシュアルハラスメントへの意識
1990年代の変化は、ブルセラ問題だけで説明できません。
1986年には男女雇用機会均等法が成立し、1989年には「セクシュアルハラスメント」という言葉が新語・流行語大賞に選ばれました。職場や学校などで、女性が受ける性的な視線や言動を問題として捉える社会的な意識が広がっていきます。
学校の体育着についても、運動機能だけでなく、着用者の心理的な負担やプライバシーへの配慮が求められるようになりました。
エル・ジャパンが2024年に掲載したスポーツとジェンダーに関する記事では、明治大学の高峰修教授が、ブルマが当初は女性の運動参加を支える衣服だった一方、1960~70年代には性的な視線や声掛けの対象になる問題が生じたと解説しています。
同記事で紹介された運動時の悩みに関する調査でも、体操着の露出や形状への抵抗感、生理中の着用の負担、身体の変化に伴う苦痛などが回答に挙げられました。
こうした問題は、運動着を単に動きやすいかどうかだけで評価できないことを示しています。
1990年代からハーフパンツへ移行し、2000年頃にはほぼ消滅
ブルマの代わりとして学校に広がったのがハーフパンツです。
1990年代には、サッカーをはじめとするスポーツの人気が高まり、競技用ウェアのデザインも変化しました。1993年にJリーグが発足すると、サッカー選手のハーフパンツ姿も一般に広く認知されるようになります。
学校の体操着でも、男女共通で使いやすく、脚を覆う面積が広いハーフパンツが採用されるようになりました。
広島経済大学の研究論文は、1990年代のブルセラ問題や着用への反発に加え、ハーフパンツの人気が高まったことを廃止の背景として整理しています。さらに、1990年代後半から2000年頃には、学校体育からほぼ姿を消したとしています。
集英社オンラインの2024年の記事も、1990年代からハーフパンツへの切り替えが増え、2000年頃までにはほぼすべての学校で廃止されたと紹介しています。
ただし、全国一斉に廃止されたわけではありません。学校や地域によって切り替えの時期は異なり、段階的に採用が減少していったのが実態です。
【現在との違い】ブルマとハーフパンツの特徴を比較!2026年の学校体操着事情
ブルマとハーフパンツの違い
ブルマとハーフパンツは、どちらも体育やスポーツで使用する衣服ですが、形状や着用感、学校での位置付けには違いがあります。
| 比較項目 | ブルマ | ハーフパンツ |
|---|---|---|
| 基本形状 | 脚の付け根付近までの短いパンツ型 | 太ももを覆うパンツ型 |
| シルエット | 密着型が主流となった時期がある | 比較的ゆとりのある形が多い |
| 素材 | 初期は織物、後期は伸縮性のあるニット素材 | ポリエステルなどのジャージ素材が多い |
| 運動時の特徴 | 脚の動きを妨げにくい | 動きやすさと身体の覆われ方を両立しやすい |
| 身体の露出 | 太ももの露出が多い | ブルマより脚を覆う範囲が広い |
| 着用者 | かつて主に女子の学校体育着として使用 | 男女共通の学校体操着として採用される例が多い |
| 現在の位置付け | 学校体育の標準的な体操着ではない | 学校体育で広く採用されている |
最大の違いは、脚を覆う範囲と身体へのフィット感です。密着型ブルマは脚の動きを妨げにくい反面、身体のラインが見えやすい形状でした。
ハーフパンツは太ももを覆う面積が広く、比較的ゆとりのある設計にできるため、着用者が身体の露出を気にせず運動しやすいという利点があります。
もちろん、ハーフパンツにも丈や素材による違いがあります。すべての製品が同じ着用感というわけではありません。
2026年現在の学校体操着はどうなっている?
2026年現在、日本の学校体育ではハーフパンツやクォーターパンツ、ジャージなどが一般的に使われています。
女子だけに密着型の短い体操着を指定する従来のスタイルは、学校体育の標準的な選択肢ではなくなっています。男女共通のデザインを採用する学校も多く、性別によって服装を分けない方向への変化も見られます。
ただし、全国すべての学校で同一の体操着が使われているわけではありません。指定する衣服の形状や色、購入方法などは、学校や自治体の方針によって異なります。
文部科学省は2025年6月25日付の通知「学校における補助教材及び学用品等に係る保護者等の負担軽減について」で、制服や体操服などの学校指定品に関する業者選定や契約について、教育委員会がガイドラインを作成する事例を紹介しています。保護者の経済的負担を軽減することも重要な検討事項です。
実際に2026年度の学校案内にも、男女共通の半袖体操服とハーフパンツを指定する例や、学校指定のクォーターパンツを使用する例が確認できます。
現在の体操着選びでは、運動のしやすさだけでなく、本人の希望、着替えやすさ、体型や体調への配慮、価格、洗濯のしやすさなどが考慮されるようになっています。
ブルマは現在も販売されているのか?
ブルマという衣服自体が完全になくなったわけではありません。歴史資料や衣服研究の対象として保存されているほか、学校体育以外の特殊な衣装や舞台衣装など、限定的な用途で名称が使われる場合もあります。
ただし、かつてのように学校が女子生徒の日常的な体育着として密着型ブルマを指定する状況とは大きく異なります。
お茶の水女子大学には、大正時代に実際に使用されたセーラー・ブルマー型体操服が所蔵されています。2023年の研究論文では、実物の生地や縫製、パターン構成まで分析されており、当時の女子体育や女性の衣生活を知るための歴史資料として扱われています。
ブルマは、単なる昔の体操着ではなく、女性の運動参加と服装の自由、学校制度、社会におけるジェンダー意識の変化を読み解く資料にもなっているのです。
ブルマの歴史を調べるときに知っておきたい3つの判断基準
ブルマに関する情報には、異なる時代の衣服や社会背景が一緒に語られることがあります。歴史を正しく理解するには、次の3点を区別することが大切です。
1. 19世紀のブルーマーズと日本の密着型ブルマを混同しない。
アメリア・ブルーマーが紹介したのは、スカートとゆったりしたズボンを組み合わせた服装です。現在知られる短い密着型とは形状も用途も異なります。
2. 井口阿くりの導入と1960年代の全国的普及を分けて考える。
井口が明治期に紹介したブルマ型体操服は、当初は限られた学校で使用されました。全国の学校で密着型が広がったのは、戦後のスポーツ文化や素材技術、学校とメーカーの関係が変化した1960年代以降です。
3. 廃止をブルセラ問題だけの結果と考えない。
着用者の抵抗感、身体のプライバシー、性的な視線、生理中の負担、社会意識の変化、ハーフパンツの普及など、複数の要因が重なっていました。
【よくある質問】ブルマに関する疑問を分かりやすく解説
Q1:ブルマとは何の略ですか?
A1:ブルマは、英語の「Bloomers(ブルーマーズ)」に由来する言葉です。アメリカの女性権利運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマーの名前から定着しました。日本では女子の体育着として使われた短いパンツ型の衣服を指すことが一般的です。
Q2:ブルマを最初に考案したのは誰ですか?
A2:服装の原型を考案・着用した人物として知られるのはエリザベス・スミス・ミラーです。アメリア・ジェンクス・ブルーマーは、その服装を新聞などで紹介し、自らも着用したことで名称の普及に貢献しました。
Q3:日本にブルマを持ち込んだのは誰ですか?
A3:女子体育教育者の井口阿くりです。1899年にアメリカへ留学し、1903年に帰国しました。帰国後、アメリカで学んだ女子用体操服を日本の教育現場に紹介し、1904年の文部省体操遊戯取調委員会でも女子体操服の提案に携わりました。
Q4:ちょうちんブルマーと密着型ブルマーは何が違いますか?
A4:ちょうちんブルマーは織物を使ったゆったりした形状で、脚の部分に膨らみがありました。一方、密着型ブルマーは伸縮性のあるニット素材を使い、身体にフィットする短いデザインです。1960年代後半から後者が急速に普及しました。
Q5:ブルマはいつ廃止されたのですか?
A5:全国一斉の廃止日があったわけではありません。1990年代からハーフパンツへの切り替えが進み、2000年頃までにはほぼ学校体育の現場から姿を消したとされています。
Q6:ブルマが廃止された最大の理由は何ですか?
A6:一つの理由だけではありません。女子生徒の着用への抵抗感、身体の露出やプライバシーの問題、性的な視線やブルセラ問題、学校の服装に対する社会意識の変化、ハーフパンツの普及などが重なった結果です。
Q7:2026年現在、ブルマを学校で着用することはありますか?
A7:かつてのような女子の標準的な学校体育着としては、ほぼ使用されていません。現在はハーフパンツやクォーターパンツ、ジャージなどが一般的です。学校ごとに体操着の指定や選択肢は異なります。
まとめ:ブルマの歴史は女性の運動と社会意識の変化を映している
ブルマとは、19世紀のアメリカで始まった女性の服装改革を起源とし、日本では女子体育の発展とともに学校の体操着として広がった衣服です。
名称の由来となったアメリア・ジェンクス・ブルーマーと、原型を考案したエリザベス・スミス・ミラーは別人です。また、日本では井口阿くりが1903年にアメリカから体操服を紹介し、1904年の文部省委員会で女子体操服の提案に関わりました。
その後、1960年代の東京オリンピックやスポーツウェアの技術革新、学校とメーカーの関係などを背景に、密着型ブルマーが全国の学校へ広がりました。しかし、着用者の心理的負担や身体のプライバシー、性的な商品化への懸念、社会意識の変化によって、1990年代からハーフパンツへの移行が進みます。
2026年現在、学校体育の主流はハーフパンツやクォーターパンツなどに移っています。体操着に求められるものも、単なる運動機能だけではなく、着用する本人の意思や快適さ、安心して運動できる環境へと広がっています。
ブルマの歴史を振り返ると、同じ衣服でも時代によって社会的な意味が大きく変わることが分かります。かつては女性が自由に身体を動かすための象徴だったものが、後には着用を強いられることへの抵抗や、性的な商品化の問題を象徴する存在になりました。
その変遷は、学校の体操着が誰のためにあり、誰の意思を尊重して選ばれるべきなのかを考えるうえでも、重要な歴史的教訓を残しています。 (出典: ブルマ と は(Yahoo!ニュース))